
粗茶と申します。
1985年愛知県名古屋市生まれ・名古屋市在住
現在は学習塾講師をしています。担当教科は高校数学・公民,中学社会などです。
自らも勉強する中で,数学のお役立ちネタがたまっていくのですが,なかなか授業の中で伝える機会があるようでなかったので,ここでお伝えしていきます。
よろしくおねがいします!
粗茶と数学
私が数学とどのような関わりをもって生きてきたのか,これまでの道のりを書いておきます。
幼少期
数字に興味を持ったのは2〜3歳のころのようです。
とにかく数字を書いたり電卓で遊んだりして喜んでいたらしいです。
掛け算の九九を年少で言えたとか言えないとか(曖昧)。
両親は「この子は将来数学者にでもなるんだろうか」と思ったらしいですが,安心して下さい。なってませんよ。
小学校でも得意な科目は算数でした。ほとんど遊びのような感覚だったのかもしれません。
学生時代
中学校に上がり,算数から数学に変わったあたりから,暗雲がたちこめます。
計算が中心の算数から,論理が中心の数学に変わり,思うように解けなくなっていきます。
それでも高校受験は,良き先生に恵まれたこともあり,気合と根性で乗り切りました。
高校に上がると,いよいよ数学が苦手科目へと移っていってしまいます。
高1の最初の定期テストでたまたまクラス1位をとってしまい,周りに「勉強ができる人」のイメージがついてしまったことも苦労に拍車をかけました。
高校入学までは理系クラスに進むものと思っていましたが,結局文系の道に進むことになります。
大学入試に失敗,そして…
大学入試では,数学がネックとなって,2000点満点のところ合格最低点まで8点足りずに不合格。
他に受かった大学に進むこともできましたが,やはり諦めきれず浪人生活をおくることに。
「とにかく数学ができないから,なんとかしよう」ということをテーマに,一から学び直しました。
予備校自体には期待をしていませんでしたが,せっかく行かせてもらっているので,予備校の言うとおりにやってやろう!と思ってひたすら勉強の日々。
勉強の成果もあり,1年後には,もともと得意だった英語と同じぐらいの点数が数学でも取れるようになりました。
大学にも無事に合格。この1年間が,その後の人生に大きな影響を与えました。
人に教えるということ
大学生の時は,自分が生徒として通っていた学習塾に講師として勤務。
たまたま人がいなかったという理由で中学社会の担当になりつつも,3年目からは高校数学の授業も担当。
教材を作成したり,授業の内容を試行錯誤したり,大変ですが楽しいものでした。
しかし,教育の仕事を一生続けていくつもりはなかったので,塾業界に就職せず,かねてから興味のあったWeb製作の会社で働き始めました。
ふたたび塾講師に
Web製作会社での仕事は,一通りのスキルは身についたものの,なかなかの激務に耐えきれず,2年で退職。
これからどうしようかと悩みつつも,以前の塾に正社員として入れてもらえることになり,再び塾講師の道を歩むことになりました。
とりあえず次の勤め先が見つかるまで…と思っていましたが,気づいたら12年目になってしまいました。
最近は文字を書くのと計算をするのが面倒になってきていますが,数学という学問には常に興味があり,文明の力を借りつつ,楽しみながら関わっていきたいなと思っております。